宮沢賢治忌/雨ニモマケズと修羅の道
雨ニモマケズ……
素晴らしい詩だと思いつつ
いや、『欲はなく』…って全体通して自分の欲の話をしとるやん…
とか
いや、『いつも静かに笑っている』って
寒さの夏でオロオロ歩いてる時にもか?
とか
いや『自分を勘定に入れず』じゃ正確な数が把握できねえじゃん…
とか
そんなツッコミを何度も入れ…
読んでいるうちになぜか意地悪な気持ちが涌いてくる。
私にとってはそんな詩です。
そして、でくのぼうとは…以下ネットよりコピペ↓
でく‐の‐ぼう〔‐バウ〕【木=偶の坊】 の解説
- 1 人形。あやつり人形。でく。
- 2 役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしっていう語。「この木偶の坊め」
おわかりいただけただろうか……
雨ニモマケズで描かれた人物は
役立たずでもないし
気が利かない人間でもないし
人の言いなりにもなってない
てか、むしろ、その逆を行く人物なのだ!
そういう人物を『でくのぼう』呼ばわりする
【皆】とはいったい……
人助けをし、和を尊ぶ人物をののしる周囲とは一体…
つまりだ…賢治ちゃんが望む【理想の人物】に賢治ちゃんがなるには
賢治ちゃんの周りをいったん修羅の国にするしかないのだ。
賢治ちゃんが進むのは修羅の道なのだ。
※↑これは賢治自身が描いた【月とでんしんばしら】の絵を
私が雑な目トレスしたものです。